【PR】この記事には広告を含む場合があります。

CMパンク【WWEスーパースターズ】

CMパンク
引用:wwe.com

CMパンクの基本情報

英語名CM Punk
本名Phillip Jack Brooks
出身アメリカ・イリノイ州シカゴ
誕生日1978年10月26日(45歳)

CMパンクの経歴

インディー団体でのデビュー

CMパンクは1990年代に10代でプロレスデビュー。この頃からすでに「CMパンク」というリングネームを使用していました。

CMパンクという名前の由来は、当時組んでいたタッグチームの名前が「チック・マグネット(Chick Magnet)」で、パートナーが「CMヴェノム」と名乗っていたので合わせたのだそうです。

2000年代の前半は「IWAミッドサウス」というインディー団体で活動し、AJスタイルズやエディ・ゲレロと抗争しました。

2002年には「TNA」や「ROH」に参戦し、ブライアン・ダニエルソン、レイヴェン、サモア・ジョーなどと抗争しています。

2005年5月、パンクはWWEのトライアウトを受けましたが、直後の6月にROH世界王座を獲得。これはヒール王者としてROHのベルトを他団体(=WWE)に持ち逃げするというストーリーラインのためだったようで、同年8月には王座から陥落しました。

OVW

WWEと契約後、パンクは育成団体である「OVW」所属となり、ここでポール・ヘイマンの指導を受けました。

2005年9月にOVWデビュー。2006年5月にはOVWヘビー級王座を獲得しています。

ECWブランド

2006年6月にはWWEに吸収合併されたブランド「ECW」に初登場し、同年8月にはテレビショーでデビュー。ドラッグやアルコールを摂取しない禁欲主義「ストレート・エッジ(straight edge)」のキャラを前面に押し出すようになります。

2006年11月のPPV「サバイバー・シリーズ」ではD-ジェネレーションXチームのメンバーとしてWWEのPPVに初登場。2007年1月にシングル戦で敗れるまで約6ヶ月間の連勝記録を樹立するなど、団体側からプッシュされ始めます。

2007年9月にはECW世界王座を獲得。2008年1月まで143日間、王座を保持しました。

WWE(第1期)

2008年3月のレッスルマニアでおこなわれたマネー・イン・ザ・バンク・ラダーマッチに勝利したパンクは、同年6月のドラフトでECWからRAWに移籍。

翌週のRAWでマネー権のキャッシュインをおこない、王者エッジに勝利して世界ヘビー級王座を獲得。これがWWEにおける初タイトルでした

2010年からは、ルーク・ギャローズやセレーナとヒールユニット「ストレート・エッジ・ソサエティ(The Straight Edge Society)」を結成し、教祖のようなキャラに変貌。しかしセレーナがWWEを解雇されたことなどからユニットは解散となります。

2010年12月、パンクはRAWのヒールユニット「ネクサス(The Nexus)」への加入と2代目リーダー就任を宣言。

パンクと対立したメンバーはSMACKDOWNに移籍して「ザ・コア(The Corre)」を結成し、パンクはデビッド・オタンガやマイケル・マクギリカティら残留したメンバーと共に「新生ネクサス(The New Nexus)」を名乗りました。

2011年6月、WWE王者だったパンクは翌月の契約満了を機に、王者ベルトを持ったままWWEを退団すると爆弾発言。

パイプボム事件、WWE退団

さらに2011年6月27日のRAWでは番組終盤、リング上で座りながらビンス・マクマホンやトリプルHなどWWE上層部を猛烈に批判し、新日本プロレスなど他団体に関しても言及するなど、タブー視されていた内容のスピーチを決行。このスピーチは「パイプボム(Pipe Bomb)」と称され、メディアやファンを騒然とさせました。

この行為により出場停止処分(ストーリー上)となったパンクは復帰後に新生ネクサスを解散させ、ジョン・シナとの王座戦に勝利し、宣言どおりWWE王者のまま退団しました(ストーリー上であり実際は退団していません)。

2011年7月、空位扱いとなったWWE王座をジョン・シナが獲得した直後にサプライズ復帰したパンクは、同年8月にはシナとの王座統一戦に勝利し、統一WWE王者となりました。

2012年9月には、ECW時代に苦楽を共にしたポール・ヘイマンを参謀役に迎えてヒール王者として活動。2013年1月にザ・ロックとのタイトル戦で敗れて王座から陥落するまで世界王座を434日間も保持し、当時の最長保持記録を樹立しました。

2014年1月、パンクはRAWへの出場が予告されていたものの無断で休み、団体側との対立が表面化。パンクは現役引退を宣言し、同年7月には正式にWWE退団がアナウンスされました。

パンクは引退と退団の理由として、ビンス・マクマホンを始めとする上層部との対立、ギャラやストーリー上の扱いの問題、負傷時の専属医師との対立などを挙げていました。

退団の決定打となったのは、2014年6月13日にWWEの女子選手、AJ・リーと結婚式をおこなった同じ日にWWE側から解雇通知書を受け取ったことだとパンクはインタビューで暴露しました。

これに関してはビンスやトリプルHが「同じ日になったのはたまたまで、意図的ではなかった」と釈明・謝罪しています。

UFC

2014年12月、パンクは総合格闘技団体「UFC」と契約したことを発表。WWE時代と同じ「CMパンク」のリングネームで登録されました。

UFCデビュー戦が発表されたものの負傷や手術により都度延期され、2016年9月の「UFC 203」でようやくデビュー。この時は1ラウンドでタップ負けを喫しました。

2戦目も判定負けとなり(後に対戦相手が失格となり、無効試合の扱いとなりました)、UFCでの戦績は0勝2敗。

2021年8月、パンクはUFCを退団し、総合格闘技の世界から撤退することを発表しました。

AEW

2021年8月20日、パンクはWWEのライバル団体「AEW(All Elite Wrestling)」に登場し、プロレスラー引退の発表から7年ぶりに復帰。待望していた地元シカゴのファンから大歓声を受けてのAEWデビューとなりました。

2022年5月にはAEW世界王座を獲得。ジョン・モクスリーやサモア・ジョーなどと抗争しています。

パンクは旧友でもあるコルト・カバナの処遇をめぐり、AEWのエグゼクティブを兼任しているケニー・オメガやヤングバックスとバックステージで対立。パンクだけでなく関係者全員が出場停止処分となり、この際にパンクはAEW世界王座を剥奪されました。出場停止中には負傷していた腕の手術も受けています。

2023年6月にはリングに復帰しましたが、8月にバックステージで乱闘騒ぎを起こし、同年9月2日にはAEW社長兼CEOのトニー・カーンからパンクの解雇(契約解除)が発表されました。

WWE(第2期)

2023年11月、シカゴで開催されたWWEの大会にパンクはサプライズ登場。またも地元のファンから熱烈な大歓声を受け、9年ぶりのWWE登場となりました。

同年12月には試合もおこない、正式にWWEスーパースターとして復帰しています。

CMパンクのタイトル歴

WWE

タイトル名回数パートナー
WWE王座2回
世界ヘビー級王座3回
インターコンチネンタル王座1回
世界タッグ王座1回コフィ・キングストン

ECW

タイトル名回数パートナー
ECW王座1回

AEW

タイトル名回数パートナー
AEW世界王座2回

OVW

タイトル名回数パートナー
OVWヘビー級王座1回
OVW南部タッグ王座1回セス・スカイフィア
OVWテレビ王座1回

ROH

タイトル名回数パートナー
ROH世界王座1回
ROHタッグ王座2回コルト・カバナ

CMパンクのテーマソング・関連グッズ

CMパンク
CMパンクのテーマ曲やWWE関連グッズ一覧

続きを見る