
スティングの基本情報
英語名 | Sting |
---|---|
本名 | Steve Borden |
出身 | アメリカ・ネブラスカ州オマハ |
誕生日 | 1959年3月20日(65歳) |
スティングの経歴
アルティメット・ウォリアーとタッグ結成
スティング(本名スティーヴ・ボーデン)は、高校時代にフットボールやバスケットボールの選手として活動し、ボディービルディングも始めていました。
入会していたゴールドジムでインストラクターをしていたジム・ヘルウィッグと共にスカウトされ、1985年にプロレスデビュー。
ジム・ヘルウィッグは後にWWFで活躍した「アルティメット・ウォリアー」です。
最初に所属したインディー団体ではヘルウィッグと「パワーチームUSA(Power Team USA)」というタッグユニットを結成。スティーヴは当時のリングネームを「フラッシュ(Flash)」、ヘルウィッグは「ジャスティス(Justice)」としていました。
その後、テネシー州メンフィスを拠点とする団体・CWAに移籍。ユニット名を「フリーダム・ファイターズ(Freedom Fighters)」と改称しました。
1986年にはUWFという団体(注:前田日明などが所属した日本のUWFとは関係ない団体)に移籍。
この時点でユニット名を「ブレード・ランナーズ」に改称。リングネームも変更し、フラッシュは「スティング(Sting)」に、ジャスティスは「ロック(Rock)」となりました。
パワーファイターとして活躍しますが、やがてチームは解散し、スティングはシングルプレイヤーとして活動を開始しました。
NWAで期待の若手としてプッシュされる
1987年7月、当時アメリカで最大のプロレス団体だった「NWA(後のWCW)」の大会に初参加。期待の新星として団体側からプッシュされ始めます。
1988年3月には早くも当時のNWA世界ヘビー級王者だったリック・フレアーのタイトルに初挑戦。その後もタイトル挑戦や主力選手との抗争で知名度を上げていきます。
また、新日本プロレス所属でアメリカ遠征していた武藤敬司の別人格「ザ・グレート・ムタ」と数多くの名勝負をくり広げ、人気者となりました。
初来日は全日本プロレス
1989年6月にはNWAと業務提携していた全日本プロレスに初参戦。
若手ながら注目の大物外国人選手という扱いで「超銀盤戦士」というキャッチフレーズを付けられ、シングル2試合を戦いました(田上明に勝ち、ダニー・スパイビーに負け)。
1990年7月、リック・フレアーを破って初のNWA世界ヘビー級王座を獲得しました。
1991年1月、保持するNWA世界ヘビー級王座に加え、新設されたWCW世界ヘビー級王座とのダブル・タイトル戦がおこなわれ、リック・フレアーに敗れてNWA王座から陥落。WCW王座の初代王者にもなれませんでした。
1991年3月、WCWが新たに業務提携した新日本プロレスの東京ドーム大会に初参戦し、本国アメリカで何度も対戦しているグレート・ムタと戦いました。
1992年2月の東京ドーム大会ではムタとタッグを結成し、スタイナー・ブラザーズと対戦しています。
巨大勢力「nWo」に立ち向かう孤高の戦士
1996年6月、WWFを退団して乗り込んできたケビン・ナッシュとスコット・ホールがWCWのテレビショーに度々乱入。ナッシュ&ホールの外敵コンビは「アウトサイダーズ(The Outsiders)」と呼ばれ始めます。
1996年7月、アウトサイダーズとWCW正規軍とのタッグマッチで、正規軍のリーダー格でもあったハルク・ホーガンが突如裏切ってアウトサイダーズに加担しました。
3人はヒールユニット「nWo(New World Order)」を結成。試合への乱入と選手の引き抜きを続け、WCW正規軍からnWoに加入するレスラーが続出。巨大な勢力へと成長していきます。
nWoはWCWにとどまらず、アメリカのスポーツ界・エンターテインメント界でも大流行しました。
WCWと業務提携していた新日本プロレスもブームに乗り、蝶野正洋やグレート・ムタ(武藤敬司)を中心に「nWoジャパン」を結成しています。
スティングはWCW正規軍としてnWoと対峙しましたが、nWo側はスティングと同じフェイスペイントをした偽物「nWoスティング」を登場させ、スティングがWCW正規軍を裏切ったのだと喧伝し始めます。
まんまと策にハマり始め、スティングを裏切り者とみなし始めた正規軍のメンバーに対して否定&釈明したものの信用してもらえず、スティングは孤立。
1996年10月、スティングはそれまでの陽気なキャラを一変させ、フェイスペイントもカラフルなデザインを辞めて白のみとなり、衣裳も派手なものから黒のコートへと変え、陰鬱で言葉を発しないキャラへと変貌。
キャラクターチェンジして白一色となったフェイスペイントや陰鬱な雰囲気のモデルとなったのは、俳優ブランドン・リー(アクション俳優ブルース・リーの息子)が主演した1994年の映画作品「クロウ」の主人公です。
ダークヒーローとなったスティングは、会場の天井からロープで吊されてリングに降り、nWoメンバーたちを背後から奇襲。無言でフィニッシャーの「スコーピオン・デスドロップ(リバースDDTと同じ技)」を炸裂させ、時には黒バットを凶器にしてnWoの面々を殴りまくるなど逆襲を開始。
圧倒的な戦力を誇っていたnWoの猛者たちがスティングの襲撃に大パニックとなる姿がテレビで放送され、スティングは一人で大軍団に立ち向かう孤高のヒーローとして人気が爆発。
スティングに追随してnWoに対抗するWCW正規軍の選手も増え始め、スティングとnWoとの抗争はWCWのテレビ視聴率や観客動員に大きく貢献しました。
nWoとスティングの人気が凄まじかった影響で、ライバル団体のWWFは一時、倒産直前まで追い込まれてしまいました。
nWoとスティングの抗争は1997年12月、ハルク・ホーガンが保持していたWCW世界ヘビー級王座にスティングが挑戦し、勝利して王座を奪取したことでひとまず終結しました。
nWoの迷走、赤スティング誕生
1998年に入り、nWoの仲間割れストーリーが開始され、ケビン・ナッシュがフェイスターンしてハルク・ホーガンと対立したことで本格化します。
ホーガンは黒と白をイメージカラーとする「nWoハリウッド」を結成。一方のナッシュは赤と黒をイメージカラーとする「nWoウルフパック」を結成しました。
2つの派閥はどちらもスティングの加入を求め、スティングはホーガン派のnWoハリウッド加入を示唆したものの、一転してナッシュ派のnWoウルフパック加入を表明。
このタイミングでスティングのフェイスペイントは、それまでの白一色から赤を基調としたものに変更され、コスチュームも赤になりました。
WCW崩壊、インディー団体とTNTで活動
nWoの迷走でWCWの雲行きが怪しくなる一方、ライバル団体のWWFはいわゆる「アティテュード路線」への変更が大成功。
ストーン・コールド・スティーブ・オースチンとビンス・マクマホンとの抗争や、トリプルH&ショーン・マイケルズを中心とするユニット「DジェネレーションX」が大人気となり、WCWとWWFの形勢は逆転します。
WCWは2001年3月に最後のテレビショーを放送し、その後に崩壊。WWFに買収されて吸収合併となり、ECWと同じくWWF内のブランドのひとつとなりました。
WCWに所属していた多くのレスラーがWWFと契約を締結して移籍する中、スティングはWWFに移籍せず、高額オファーも拒否。WCWの契約期間終了を待ってインディー団体に移りました。
インディー団体やTNAで活動
スティングは2002年11月からWWAという団体に登場。2003年にはTNAと契約を交わして主戦場としました。
2004年にいったんインディー団体へと活動の場を移しましたが、2006年1月にはTNAに復帰。
2007年10月にはカート・アングルに勝利して、TNA世界ヘビー級王座を獲得。
2008年11月にはAJスタイルズ、サモア・ジョーなどの若い世代に対抗するため、大物レスラーたちを集結させ、ユニット「ザ・メインイベント・マフィア(The Main Event Mafia)」を結成。メンバーは以下の5人でした。
- スティング
- カート・アングル
- ケビン・ナッシュ
- ブッカー・T
- スコット・スタイナー
2011年4月には、映画『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーに似せて、白を基調としながら口が裂けたように口元を赤く塗ったフェイスペイントに変更。突然性格が豹変する錯乱ギミックに変更しましたが、あまり良い評判は得られませんでした。
2014年1月、11年間にわたるTNAとの契約が満了。スティングは敗者追放マッチで敗れるという形を取り、TNAに別れを告げました。
遂にWWEと契約
WCW崩壊後、WWFに移籍せずインディー団体やTNAでの活動を選んだスティングは、WWEファンにとって「最後の未知なる大物レスラー」と称されていました。
そんなスティングも2014年4月、遂にWWEと契約を締結。最初の登場は、同時期に急死した盟友、アルティメット・ウォリアーへの追悼インタビュー映像でした。
その後もしばらくは、ファンイベント出席やドキュメンタリー映像に登場するだけにとどまり、テレビショーには登場しませんでした。
WWEのテレビショーに初めてスティングが登場したのは2014年6月。
この年にリリースされたWWE公式のビデオゲーム「2K15」で、スティングが予約特典キャラクターとして登場することが発表され、そのCM映像にスティングが起用されました。
RAWやSMACKDOWNの放送中にこのCM映像が流され、ファンは狂喜乱舞。熱狂的にスティングのWWE登場を歓迎しました。
トリプルHと抗争、nWoが味方につく
スティングのリング上での初登場は2014年11月のPPV「サバイバー・シリーズ」でした。
トリプルH、妻のステファニー・マクマホンなど団体の権力者たちを中心に結成したヒールユニット「オーソリティ(The Authority)」とジョン・シナがリーダーを務めたベビーフェイス・チームとの対抗戦で、試合終盤にスティングが試合会場への初登場を果たします。
リング上で初対面したトリプルHは動揺しながらもスティングに攻撃を仕掛けますが、回避したスティングがスコーピオン・デスドロップを放ち、トリプルHはダウン。スティングはベビーフェイス・チームの勝利に貢献しました。
その後も、オーソリティーのメンバーだったセス・ロリンズのリクエストにより製造されたロリンズの銅像の除幕式において、銅像と入れ替わってスティングが登場し、驚いたロリンズたちを襲撃するなど、奇想天外な出没を何度か繰り返します。
2015年3月の「レッスルマニア31」でスティングはトリプルHとシングルで初対決。これがスティングのWWEにおけるデビュー戦となりました。
試合途中で「オリジナルnWo(ケビン・ナッシュ&スコット・ホール&ハルク・ホーガン)が乱入し、nWo時代には敵対していたはずのスティングを支援。
一方で「DジェネレーションX(ショーン・マイケルズ&ロード・ドッグ&ビリー・ガン&Xパック)」も乱入してトリプルHに加勢し、WWFとWCWの視聴率戦争で両団体の人気を引っ張ったユニット同士の「夢の対決」も実現しました。
試合は最後にショーン・マイケルズの加勢を受けてトリプルHが勝利。試合後、スティングとトリプルHは握手を交わしました。
2015年9月にはセス・ロリンズの持つWWE世界ヘビー級王座に挑戦したものの敗北。スティングがWWEで試合をおこなったのは、この2試合のみでした。
WWE殿堂入り、1度目の現役引退
2016年4月、スティングはWWE殿堂入りを果たし、式典セレモニーで現役引退を表明しました。
2016年8月のインタビュー企画において、前年のセス・ロリンズとの試合で首を負傷し、深刻な脊椎の損傷を引き起こしていたため医師から現役続行が不可能だと通告されたことを明かしました。
それでも「将来はアンダーテイカーと試合をしたい」などの発言もしましたが、実現はしませんでした(アンダーテイカーも2020年に現役引退)。
2019年2月には、NWA時代からの宿敵でありプライベートでは親友でもあるリック・フレアーの70歳記念セレモニーに登場。これがWWEでの最後の登場となりました。
2020年5月、スティングはWWEとの契約が満了し、団体を去っています。
AEWで現役復帰、ムタの引退試合で共闘
2020年12月、スティングはAEWのテレビショーに初登場。黒バットを手にしてヒール軍団を威嚇しただけでしたが、観客は驚き、大歓声でスティングを歓迎しました。
2021年3月にはダービー・アリンとタッグを結成し、AEWでのデビューマッチで勝利。これが6年ぶりとなる現役復帰でした。
2023年1月には、かつてのライバルだったグレート・ムタ(武藤敬司)の引退試合でタッグを結成し、勝利に貢献しました。
2024年2月、アリンとのタッグでAEW世界タッグ王座を獲得。スティングにとっては11年ぶりとなるタイトル奪取でした。
2024年3月のタッグマッチに勝利し、スティングはAEWでの戦績を29勝0敗として、無敗のまま2度目の現役引退となりました。
2024年10月、スティングはAEWと複数年の「レジェンド契約」を新たに結んだことを発表しました。
現役復帰ではないので試合はおこなわず、しかし試合には登場する役割での契約で、マネージャーやエージェントとしての仕事は興味がないと発言しています。
私生活
1986年に最初の妻・スーと結婚。2男1女に恵まれましたが2010年に離婚。2015年には2番目の妻であるサビーネと再婚しました。
1990年代の初め頃、スティングは同じ名前を持つイギリス出身のミュージシャン、スティングのコンサートを鑑賞後、会場で初めて対面しました。
当時9歳だった(ミュージシャンの)スティングの息子が寝室に(プロレスラーの)スティングのポスターを貼っており、興味を持った(ミュージシャンの)スティングが連絡を取ったのだそうです。
スティングのタイトル歴
WWE
タイトル名 | 回数 | パートナー |
---|---|---|
WWE殿堂者 |
WCW
タイトル名 | 回数 | パートナー |
---|---|---|
NWA世界ヘビー級王座 | 1回 | |
NWA世界TV王座 | 1回 | |
WCW世界ヘビー級王座 | 6回 | |
WCW USヘビー級王座 | 2回 | |
WCW IC世界ヘビー級王座 | 2回 | |
WCW世界タッグ王座 | 3回 | レックス・ルガー ザ・ジャイアント ケビン・ナッシュ |
AEW
タイトル名 | 回数 | パートナー |
---|---|---|
AEW世界タッグ王座 | 1回 | ダービー・アリン |
TNA
タイトル名 | 回数 | パートナー |
---|---|---|
TNA世界ヘビー級王座 | 4回 | |
NWA世界ヘビー級王座 | 1回 | |
TNA世界タッグ王座 | 1回 | カート・アングル |
TNA殿堂者 |
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