ジ・アンダーテイカーの基本情報
英語名 | The Undertaker |
---|---|
本名 | Mark William Calaway |
出身 | アメリカ・テキサス州ヒューストン |
誕生日 | 1965年3月24日(59歳) |
ジ・アンダーテイカーの経歴
学生時代はバスケとフットボールの選手
高校時代はバスケットボールとフットボールのチームに所属。大学ではバスケットボールで奨学金を得ていました。
大学を中退後、ヨーロッパでプロバスケットボールになろうと考えた時期があったものの、最終的にはプロレスの道へ進むことを決めました。
WCCWでポール・ベアラーと出会う
1987年6月、テキサス州を拠点とする「WCCW」でプロレスデビュー。リングネームは「テキサス・レッド(Texas Red)」で、覆面をかぶっていました。
デビュー戦の相手はブルーザー・ブロディで、敗北を喫しています。
このデビュー戦ではパーシバル・パーシー・プリングル3世がテキサス・レッドのセコンドについていました。
パーシバルは後にポール・ベアラーというキャラクターとなり、アンダーテイカーと深い関係性を築く人物です。
1989年からは「ザ・マスター・オブ・ペイン(The Master of Pain)」というリングネームに改名し、ジェリー・ローラーを破ってUSWA統一世界ヘビー級王座を獲得。これが彼の初タイトルでした。
WCW移籍、新日本プロレスにも登場
1989年からはWCWに移籍し、「ミーン・マーク・キャラス("Mean" Mark Callous)」というリングネームで、ヒールとして活動を開始しました。
WCWの活動期にはポール・E・デンジャラスリー(後のポール・ヘイマン)から指導を受け、マネージャーとして活動を共にすることもありました。
1990年3月には「パニッシャー・ダイス・モーガン("Punisher" Dice Morgan)」というリングネームで新日本プロレスに参戦し、テレビ中継にも登場しました。
私はこのテレビ中継をリアルタイムで観戦しました。アンダーテイカーの外見とは異なり、髪は少し短く、長身なのに空中殺法を使うレスラーで、目が異様にギョロッとしていたのを覚えています。
WWFと契約、墓掘り人となる
1990年10月、WWEの前身であるWWFと契約。
ビンス・マクマホンが以前から温めていた墓掘り人というキャラクターを受け入れ、リングネームは当初「ケイン・ジ・アンダーテイカー(Kane The Undertaker)」となっていました。
テレビデビューは1990年11月のPPV「サバイバー・シリーズ」で、大会直後にリングネームを「ジ・アンダーテイカー」と短縮しました。
1991年2月からマネージャーとしてポール・ベアラーが行動を共にするようになります。
ベアラーが手に持つ壺を掲げることでアンダーテイカーのパワーが復活し、ムクリと起き上がるというギミックが追加されました。
1991年3月の「レッスルマニア7」に出場し、ジミー・スヌーカに勝利。これがアンダーテイカーにとって初のレッスルマニア出場であり、初の勝利でした。
1991年11月のPPV「サバイバー・シリーズ」では、ハルク・ホーガンに勝利してWWF王座を獲得。これがWWFでの初タイトルでした。
初のベビーフェイス転向、棺桶マッチで「死亡」
1992年2月、ランディ・サベージの妻でマネージャーでもあったミス・エリザベスをジェイク・ロバーツがイスで殴ろうとした際、アンダーテイカーが阻止しました。
これを機にアンダーテイカーはキャリアで初めてベビーフェイスに転向します。ロバーツとの抗争が開始され、1992年4月の「レッスルマニア8」でロバーツに勝利したことで抗争は終結しました。
1993年11月からはヨコヅナと抗争を開始。1994年1月の「ロイヤルランブル」では両者による棺桶マッチがおこなわれ、アンダーテイカーは棺桶に落とされて敗北。
試合後には映像が流され、アンダーテイカーの死亡を示唆し、将来的に復活すると予言する内容でした。
その後しばらく、アンダーテイカーはテレビから姿を消すことになります。
実際は、アンダーテイカーが負傷した背中の手術と治療で休養するためのストーリーでした。
偽物アンダーテイカーを退治するため「再生」
1994年4月の「レッスルマニア10」終了後、テッド・デビアスが偽物のアンダーテイカーを召喚するようになります。
偽物はポール・ベアラーの壺ではなく、テッド・デビアスのマネーでパワーを得る設定になっており、ファンからは「アンダーフェイカー(The Underfaker)」と呼ばれました。
1994年8月の「サマースラム」で、本物のアンダーテイカーが「再生」し、偽物と対決して勝利。
復帰したアンダーテイカーは、灰色に染めていた衣裳部分を紫色に変え、入場時に雷鳴や落雷などの超常現象が発生するようになります。
この演出はその後、現役を引退するまで長期間にわたって使用されました。
1994年11月に「サバイバー・シリーズ」ではヨコヅナと棺桶マッチで再戦。今度はヨコヅナを棺桶に落として勝利し、リベンジを果たしています。
1996年からマンカインドと抗争を開始。8月の「サマースラム」ではポール・ベアラーがアンダーテイカーを裏切り、パワーの源である壺をマンカインドに渡してしまい、試合にも敗北。
その後、「イン・ユア・ハウス」では史上初となる「ベリード・アライブ・マッチ」でアンダーテイカーとマンカインドは戦いました。
ベリード・アライブ・マッチとは、地面に掘られた墓穴の中に相手を落とし、土をかけて埋めたほうが勝利するという残虐なルールです。
試合はアンダーテイカーがマンカインドを埋めて勝利しましたが、直後にジ・エクスキューショナー(正体はテリー・ゴディ)がアンダーテイカーを襲撃。
マンカインドを墓穴から救出したあと、今度はアンダーテイカーが墓穴に落とされ、埋められてしまいます。
しかし墓穴に雷が落ち、紫色の手袋をはめた腕が土の下から出現するというホラー演出がなされ、アンダーテイカーの不死性が強調されました。
その後もアンダーテイカーはマンカインドやエクスキューショナー、さらにはベイダーとも抗争を続け、1997年4月の「レッスルマニア13」では2度目となるWWF王座を獲得しました。
弟ケイン登場
1997年5月以降、ポール・ベアラーとアンダーテイカーの関係修復ストーリーが展開されますが、結果的に和解はできず、互いの顔面に火炎を放つなど過激化していきます。
やがてベアラーは、アンダーテイカーが幼い頃に両親の経営する葬儀場に火をつけ、両親を死なせてしまったと暴露。
アンダーテイカーは否定し、火をつけたのは弟のケインだと反論。ここで初めてケインの存在がストーリーに登場しました。
ケインは火災の際に大ヤケドを負ったことや、アンダーテイカーがケインを施設に入所させたこと、ケインが兄を恨んでおり復讐を誓っていることなどが次々とベアラーにより暴露されていきます。
1997年の夏頃から、ヒールターンしたショーン・マイケルズとの抗争を開始。セコンド介入を防ぐため、史上初のヘル・イン・ア・セル・マッチ(=セル戦)が開催されました。
試合終盤、真紅の覆面と衣裳を身にまとった異母弟・ケインが初登場。兄のアンダーテイカーを襲撃し、試合はマイケルズが勝利しました。
兄弟というのはあくまでストーリー上のことで、実際にはアンダーテイカーとケインに血縁関係はありません。
その後はケインとの抗争が開始され、両者は1998年4月の「レッスルマニア14」で初対決。試合はアンダーテイカーが勝利しました。
マンカインドとの壮絶なセル戦
レッスルマニア14の終了後、1年以上前から続いていたマンカインドとの対立が再燃。両者はヘル・イン・ア・セル・マッチで対戦しました。
この試合でマンカインドはアンダーテイカーにより、セルの天井から2度にわたり突き落とされ、自らリング上にまいた大量の画鋲の中に打ちつけられ、最後はツームストーン・パイルドライバーを食らって敗北しました。
1回目の落下(天井から放送席へ)は計画通りでしたが、2回目の落下(天井からリング上へ)は計画になく、マンカインドは短時間ながら失神しています。
またアンダーテイカーも天井からリングへと飛び降りた際に足首を骨折しました。
1998年9月頃からアンダーテイカーはケインと共謀し始め、徐々にヒールとしてのキャラクターを現していきます。
1998年10月には、アンダーテイカーとポール・ベアラーがついに和解。アンダーテイカーは1999年に入り「ミニストリー・オブ・ダークネス(Ministry of Darkness)」というヒールユニットを結成し、完全にヒールターンしました。
股関節を手術したため試合には出場せず、ユニットメンバーを戦わせて指示を送るという役割を務めていましたが、やがてビンス・マクマホンが結成したユニットと抗争を開始。
1998年5月の「レッスルマニア15」ではビンス率いるユニットのメンバーであるビッグ・ボス・マンと対戦し、勝利しました。
アメリカン・バッドアス誕生
2000年5月から、アンダーテイカーは「アメリカン・バッドアス(The American Badass)」というキャラクターに変身しました。
それまでの不気味で超常現象を引き起こす怪奇派ギミックではなく、アメリカン・バッドアスはバイクに乗り、タバコをたしなみ、スポーティーな外見と態度で、生意気なバイカーというギミックでした。
このギミック変更は、アンダーテイカー本人の「素」をそれまで以上に反映したキャラだと言われています。このギミック変更を機にアンダーテイカーはフェイスターンしました。
2001年に入り、抗争と結託を繰り返していたアンダーテイカーとケインは、何度か結成していたユニット「ブラザーズ・オブ・デストラクション(Brothers of Destruction)」(日本語解説では『破壊兄弟』)を再結成。トリプルHとストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの同盟タッグと抗争しました。
2001年4月には、破壊兄弟がWWFタッグ王座を獲得。しかし10日後には敗れて王座を失いました。
2001年11月の「サバイバー・シリーズ」でアンダーテイカーとケインの破壊兄弟は同じチームとなりますが、この試合を最後に数年間、2人はタッグを組まなくなります。
2001年11月、アンダーテイカーはヒールターンし、それまでの長髪から短髪へと外見を変更しました。
これは「アメリカン・バッドアス」のキャラクターでヒールを演じるための変更で、「ビッグ・イービル(Big Evil)」というニックネームを使用するようにもなっています。
2002年からはリック・フレアーと抗争を開始。「レッスルマニア18」での対戦をフレアーに迫りましたがフレアーは拒否。これに腹を立てたアンダーテイカーは息子デイビッドを襲撃。
さらには娘のシャーロット(後のシャーロット・フレアー、当時16歳)をも襲撃すると脅迫し、フレアーは対戦を受諾しました。試合はアンダーテイカーが勝利しています。
2002年4月、RAWとSMACKDOWNの2ブランド制になることが発表され、アンダーテイカーはRAWブランド所属となりました。
2002年5月には、団体名がWWFからWWEに変更されたことを受けて改称された「WWE統一王座」のタイトルを獲得。2002年7月にはフェイスターンしました。
2003年11月の「サバイバー・シリーズ」でアンダーテイカーは抗争中だったビンス・マクマホンと対戦。試合はケインが介入し、アンダーテイカーが土の中に埋められ、ビンスが勝利しました。
アンダーテイカーはしばらく姿を消すことになり、ケインは彼が「永遠に死んで葬られた」と宣言。これはアンダーテイカー復帰における布石となりました。
デッドマン復活
2004年に入り、ケインの登場時に鐘の音が鳴るなど、アンダーテイカーのものとされる超常現象が頻発し、ケインは心理的に追い詰められていきます。
2004年3月の「レッスルマニア20」で、アンダーテイカーはポール・ベアラーを伴って復帰。
それまでのアメリカン・バッドアスではなく、怪奇派の「デッドマン」ギミックでの復活となり、入場時に火柱が立つなど、超自然的な演出がさらに追加されました。試合はアンダーテイカーがケインに勝利しました。
2004年からアンダーテイカーはフルタイム参戦ではなく、散発的な参戦へと徐々にシフトしていきます。
ダッドリー・ボーイズとの抗争では、ポール・ヘイマンがダッドリーズに命じてポール・ベアラーを誘拐し、「試合に負けなければベアラーをセメントで埋める」と脅迫。
しかしアンダーテイカーは屈することなく試合に勝利。ベアラーを救出しようとしましたが、直後に「もうベアラーは必要ない」と告げ、自らベアラーをセメントで埋めてしまいました(ストーリー上)。
レッスルマニアの連勝記録
1991年の「レッスルマニア7」で勝利して以降、アンダーテイカーはレッスルマニアで一度も負けることなく、連勝記録を伸ばし続けました。
2005年以降では、
- 2005年:ランディ・オートン
- 2006年:マーク・ヘンリー
- 2007年:バティスタ
- 2008年:エッジ
- 2009年:ショーン・マイケルズ
- 2010年:ショーン・マイケルズ
- 2011年:トリプルH
- 2012年:トリプルH
- 2013年:CMパンク
2013年、CMパンクに勝利した時点でレッスルマニアでの記録は「21勝0敗」となりました。
2014年の「レッスルマニア30」でアンダーテイカーはブロック・レスナーと対戦し、フォール負け。
レッスルマニアで初の敗北を喫し、連勝記録はストップ。世界中に衝撃を与えました。
その後、2015年にはブレイ・ワイアット、2016年にはシェイン・マクマホンに勝利し、レッスルマニアでの勝利数を23に伸ばしました。
2017年の「レッスルマニア33」ではローマン・レインズと対戦し、フォール負け。試合後には観客席を見渡した後、帽子や手袋など入場時の衣裳をリング中央に置いて退場。
これはアンダーテイカーが現役引退を示唆したのではないか、とメディアに報じられました。
現役引退
2018年、姿を消していたアンダーテイカーに対し、ジョン・シナがレッスルマニアでの対戦を要求。しかしアンダーテイカーは姿を現さず、返答もしませんでした。
2018年4月の「レッスルマニア34」でシナはアライアスとのシングル戦に勝利。
試合後、アンダーテイカーが1年前に置いていった衣裳一式をシナがリング中央に置き直して退場しようとした矢先、衣裳に雷が落ち、アンダーテイカーが登場。
1年ぶりに復帰したアンダーテイカーはシナと対戦し、わずか3分で勝利しました。
2020年の「レッスルマニア36」ではAJスタイルズと対戦。かつての「アメリカン・バッドアス」ギミックとデッドマンのギミックを融合させたようなキャラクターとなり、試合に勝利したあとはバイクに乗って退場しました。
結果的にこれがアンダーテイカーにとって現役最後の試合になりました。
2020年6月、ドキュメンタリーシリーズ「ラストライド」の最終シーズンで、アンダーテイカーは現役引退を発表。同年11月のインタビューでも「正式に引退した」と発表しました。
2020年11月の「サバイバー・シリーズ」では、ショーの最後にアンダーテイカーの引退セレモニーが開催され、「アンダーテイカーを安らかに眠らせる時が来た」とスピーチ。
引退を告げる10回の鐘の音が鳴る中、リングにはポール・ベアラー(2013年に死去)のホログラム映像が投影されました。
WWE殿堂入り
2022年、アンダーテイカーのWWE殿堂入りが発表され、式典でのプレゼンターはビンス・マクマホンが務めました。
引退後もアンダーテイカーは番組やPPVに時折登場しています。
2024年4月の「レッスルマニア40」では、メインイベントのタイトル戦で試合への介入を続けていたザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)を制裁するためサプライズ登場し、ロックにチョークスラムを決めています。
私生活
1989年、ジョディ・リンという女性と結婚しましたが、1999年に離婚しました。
2000年にはサラ・フランクという女性と再婚しましたが、2007年に離婚しました。
2010年には、WWFディーヴァだったミシェル・マクールと結婚しました。
大型犬の治療費を支援するために、元妻サラとともに「ゼウス・コンプトン・キャラウェイ動物保護基金」を設立しています。
ジ・アンダーテイカーのタイトル歴
WWE(WWF)
タイトル名 | 回数 | パートナー |
---|---|---|
WWF王座 | 3回 | |
WWE王座 | 1回 | |
世界ヘビー級王座 | 3回 | |
WWFハードコア王座 | 1回 | |
WWF世界タッグ王座 | 6回 | ストーン・コールド・スティーブ・オースチン(1回) ビッグ・ショー(2回) ザ・ロック(1回) ケイン(2回) |
WCWタッグ王座 | 1回 | ケイン |
WWE殿堂者 |