ヒデオ・イタミ(KENTA)

ヒデオ・イタミ(KENTA)

Hideo Itami
埼玉県草加市出身
退団選手

人物紹介

本名は小林健太。1999年、全日本プロレスのオーディションに応募して合格。2000年3月にプロレスデビュー。直後の2000年6月、団体の分裂により三沢光晴が旗揚げした新団体・ノア(NOAH)に移籍。GHCヘビー、GHCタッグ、GHCジュニアヘビーなど様々なタイトルを獲得。ジュニアヘビー級時代は後にWWE世界ヘビー級王者となるダニエル・ブライアン(ノア参戦時のリングネームは「ブライアン・ダニエルソン」)とライバル関係にあった。2002年にリングネームを英語表記の「KENTA」としている。

2014年4月にノアを退団。同年7月、WWEの日本公演に登場。ハルク・ホーガンが立会人という団体側から最高級の誠意を受けてリング上で公開契約書にサインし、WWE所属となる。同年9月、NXTの特別番組に初登場し、世界的な知名度を誇るKENTAから「ヒデオ・イタミ」というリングネームに変更することをリング上で発表。

2015年3月、レッスルマニア31のNXT出場枠をかけたトーナメントに優勝。アンドレ杯争奪バトルロイヤルにNXT代表として出場し、約7万6千人の大観衆の前で勇姿を披露した。直後の2015年5月に肩を負傷して長期離脱。1年以上の欠場期間を経て2016年6月にNXTで復帰。

2017年12月、クルーザ級選手専門の「205 Live」に昇格。同時にRAWへの初登場を果たす。2019年1月、PPV「ロイヤルランブル」キックオフ・ショーでのタイトル戦を最後に自らリリースを団体側に申し出て、WWEを退団。

フィニッシャー(必殺技)・得意技

ショットガン・キック (Shotgun Kick)

ノア時代に使っていた「ブサイクへのヒザ蹴り」の改良版。対角線を走って相手に飛び蹴りを食らわせる。WWEのダニエル・ブライアンが現役時代フィニッシャーにしていた「ランニング・ニー」のモデルとなっていることをブライアン本人が語っている。

ゴー・トゥー・スリープ (Go 2 Sleep)

元々はKENTAが開発したオリジナル技で、略称「GTS」。相手を両肩に抱え、前方に落としながら顔面にヒザ蹴りを入れる。WWEではCMパンクがGTSをフィニッシャーとして使っていたため、一流選手のフィニッシャーを他の選手は使わないという暗黙の了解により、NXTデビュー以降しばらくは(KENTAがオリジナルにもかかわらず)使うことができなかった。CMパンクの退団以降は元祖GTSとして使用。もともとKENTAのオリジナル技だと認識済みのWWEファンから熱狂的な歓迎を受けた。

ダイビング・フットスタンプ (Diving Foot Stomp)

前述の通り、GTSが使えないという事情によりNXT用のフィニッシャーとして当初使っていたフィニッシャー。コーナー最上段から飛び降り、リングに横たわっている相手の腹や胸を両足で踏みつける。

WWE年表

2019年
1月
1月29日、自ら申し出てWWEを退団したと報じられる。
1月
PPV「ロイヤルランブル」キックオフ・ショーでのクルーザー級王座をかけた4ウェイ戦に出場。王者バディ・マーフィーにフォール負け。
2018年
2月
アキラ・トザワと日本人タッグユニットを結成。(しかし4月に仲間割れ)
2月
空位となったクルーザー級の王者を決めるトーナメント戦に出場し、1回戦で敗退。
2017年
12月
クルーザー級専門番組「205 Live」にてデビュー戦。その際に対立したブライアン・ケンドリックとRAW#1283でシングル戦を闘い、GTSで勝利。サポーターを外したGTSのヒザ蹴りをモロに喰らったケンドリックは眼窩底骨折と鼻骨骨折のアクシデントにより全治2ヶ月の重傷。
12月
RAW#1282にてベイラーを救援するというシチュエーションでRAW初登場。直後に組まれたタッグ戦ではGTSを決めて勝利。
11月
クルーザー級に転向し、NXTから「205 Live」に移ることが発表される。
6月
WWEジャパンツアーに参加。クリス・ジェリコとシングル戦を闘い敗れる。
4月
NXTで戦列復帰。NXT王座に挑戦するが敗れて王座奪取ならず。
2016年
12月
NXTの日本公演に参加。試合はできずトークショーのみ。
10月
NXTが開催した「ダスティ・ローデス・タッグチーム・クラシック」トーナメントに飯伏幸太をパートナーにして出場していたが試合中に首を負傷。以降の試合を欠場。
8月
NXTのテレビ収録で久々に登場。対戦相手にテレビ初披露となるGTSを炸裂させてファンを熱狂させる(元々はKENTAのオリジナル技だが、以前WWEに所属していたCMパンクが同じ技を使用していたため、暗黙の了解としてNXTデビュー後は今までテレビで使用していなかった)。
6月
テレビ未放送のハウスショーにて13ヶ月ぶりに試合復帰。
2015年
5月
NXT王座挑戦者決定戦に出場するはずだったが、番組中のアクシデントにより肩を負傷。重傷と診断され手術のため長期欠場に入る。
3月
PPV「レッスルマニア31」の第2回アンドレ杯バトルロイヤルにNXT代表として出場。初の1軍での試合はビッグ・ショーのKOパンチを浴びて排除されるという結末だった。
3月
祭典への出場権を賭けたトーナメント戦で優勝。NXT代表としてアンドレ杯バトルロイヤルへの出場を決める。
2014年
9月
NXTの特別番組「テイクオーバー」に初出演。本来は日本未放送の番組だがKENTA登場のため特別に日本でも放送された。観客からの爆発的なKENTAコールの中、ヒデオ・イタミに改名してNXTで活動していくことを発表。直後にアセンションの二人からケンカを売られる。
7月
WWE日本公演(大阪会場)でハルク・ホーガンの立ち会いによりリング上でWWEとの契約書にサインする。
スポンサーリンク

WWE HOLIC
SNSで当サイトの記事更新情報を配信しています。 プロフィール】【Facebook
ページ上部へ戻る